全国「一の宮」徹底ガイド

最も簡単に始められて最もクリアが難しい巡礼「一の宮巡礼」の情報サイト

遠江一の宮「小國神社」歴史ガイド~古い東海道のなごり・家康と武田信玄の狭間で

遠江国(静岡県) 小國神社/大己貴命《おおなむちのみこと》

古い東海道のなごり

 東海道というと、富士川、大井川、天竜川という3本の大河川を越える街道として知られている。しかし、これは江戸時代の話で、古代の旅人は大河川をわたるよりも山べりを歩くことを選んでいた。

 遠江(とおとうみ)や隣国三河一の宮の砥鹿神社(愛知県豊川市)の置かれた位置をよく見ると、そのことがよくわかる。小國(小国、おくに)神社も海から遠い、まさに「とおとうみ」な場所にある。
 時代が下るにつれて、世の流れからは外れていったのだろうか、神社にはかえって古い景観が残されている。清らかな宮川が境内を流れ、長い参道の両脇には、伊勢神宮の外宮(げくう)を思わせるほどの格式を漂わせる杉の古木が並ぶ。

f:id:emiyosiki:20180120084044j:plain

 

大国主が「おくに」に?


 社伝では、古墳時代後期の欽明天皇の時代である555年に、神社の背後にある本宮山に神霊が現れ、それをまつるために都から勅使が派遣されて現在地に社殿を造営したとされている。以来、南北朝の戦乱が起きるまで、勅使がマツリゴトをするために往来したという。(1680年の社記より)

 原初のヤマト王権の姿は、大王(天皇)の血族が全国各地へ散り、祭祀を行うことで国をまとめていた。その名残が千年にわたり続いていた場所ならではの空気が境内には流れている。

f:id:emiyosiki:20180120084112j:plain

f:id:emiyosiki:20180120084128j:plain


 祭神はオオナムチ(大己貴命)、つまり大国主だ。在地の豪族たちが信仰していた神が「国ツ神」の長という一般名詞である「オオナムチ」の名を与えられたのだろうか。神社の名前は、遠江地方が小国と呼ばれていたためとされるが、大国主の「おおくに」が変化して「おくに」になったのかもしれない。

 平安時代の法律書、延喜式(えんぎしき)には小国神社の名はなく、「事任(ことのまま)神社」(願い事がそのまま叶う)とあり、この名は小国神社の古名だとされている。どうやら平安時代以降に、在地の信仰が続いていた遠江に、全国的に拡大するオオナムチ信仰が入りこんだようだ。

 

 その証拠のひとつとして、前述した神社から北へ6キロ離れた標高511メートルの本宮山があげられる。山頂には奥宮として奥磐戸神社があるが、少し離れた場所の山を神格化するのはオオナムチ系神社の典型である。

 オオナムチを祭神とする三河一の宮の砥鹿神社も同じように離れた山を奥宮としている。

f:id:emiyosiki:20180120084240j:plain

徳川と武田のはざまで

 これもまた三河と似ているのだが、小國神社は、天竜川をのぼれば信濃(長野県)へ抜ける重要なバイパスの入り口にある。そのため、戦国時代には徳川家康と武田信玄の間で揺れ動いた。
 数多くの権謀や裏切りの中、神社は家康方につく。

 面白いのが、信玄と家康との間にたち、「家康公」についたときの逸話だ。

 元亀3年(1572)のこと。地元の武士の武藤氏定が武田信玄になびいたが、神社は家康に神主の息子を人質を出した。家康は神主に御神霊を別の場所に移させて、太刀「三条小鍛冶宗近」(2振りが宝物となっている)を与えて戦勝を祈願したあと、社殿に火を放った。(略記より)

 えっ、家康が火を放った?

 元亀3年といえば、年末に三方ヶ原の戦いで、浜松城主の家康が信玄に大敗した年だ。小國神社のある遠江の山際の拠点は、天竜川をおさえた二俣城(浜松市天竜区)だが、ここも信玄によって包囲され、2か月の籠城の末に三方ヶ原の戦い直前に陥落している。

 当然、二俣城から東へ約8・5㌔の小國神社一帯も武田軍に抑えられただろう。神社の南には、真田城跡という山城が残っている。

f:id:emiyosiki:20180120084333j:plain

f:id:emiyosiki:20180120084355j:plain

 この城の歴史をみると、真田城主は上の武藤氏定で、信玄に属して、三方ヶ原の戦い後、信玄が死んで家康が逆襲をはじめたが、武田方でありつづけ、小國神社(真田城とイコールか)にたてこもり、家康に攻められたことがわかる。

 

 やはり家康が社殿を燃やしたのであろう。氏定は武田側の遠江の最前線・高天神城(掛川市)へと入り、壮絶な籠城戦を家康と繰り返す。(高天神城は天正2年=1574年に武田勝頼が家康から奪取)

 家康は天正3年(1575)に二俣城を、天正9年(1581)に高天神城を奪い返す。この間に家康は小國神社を手中にし、遠江の支配の正統性のために、一の宮である小國神社を保護する。(燃やしておいてなんだが)

 社伝では、天正3年に家康の家臣本多重次(陣中から妻に送ったとされる「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」で有名な武将)に本殿を造営させ、その後、次々と増築させている。(現在の本殿は明治19年再建)

f:id:emiyosiki:20180120084416j:plain

 戦国時代の生き残り方策として、この地域の俗のトップである武藤氏が武田に、聖の小國神社が徳川に、と分かれて、保険をかけたということは十分にありえるだろう。

 この賭けは成功し、願いが叶う神社として家康にアピールすることができた小國神社は江戸時代に隆盛を極め、そして現在、山奥といってもいい場所ながらも天下人の崇敬のなごりからか参拝客は絶えない。

 

 

基本データ 小國神社

〒437-0226 静岡県周智郡森町一宮3956の1
新東名高速道路「遠州森町スマートIC」(ETC必要)から約7分、「森掛川IC」から約15分、東名高速道路「袋井IC」より約20分、JR掛川駅から車で約30分。または天竜浜名湖鉄道遠江一宮駅より送迎マイクロバス(日曜日、1日・15日、正月、6月の菖蒲園開園時など運行)にて約10分

交通案内|遠江國一宮 小國神社|アクセス方法・駐車場・周辺地図・観光-静岡県西部森町一宮(とおとうみのくに いちのみや)


電話0538・89・7302

公式HP 

遠江國一宮 小國神社|縁結び・厄除け・祈願・結婚式-周智郡森町一宮(とおとうみのくに いちのみや おくにじんじゃ)

*マイクロバスなどは上記の公式HPなどで最新の情報を確認してください。

 

(本記事は、恵美嘉樹『全国「一の宮」徹底ガイド』に加筆しました)

 

全国「一の宮」徹底ガイド PHP文庫

全国「一の宮」徹底ガイド PHP文庫

 (現在:電子版のみ発売中です)